第3回 吉野光 回顧展
父、吉野光の回顧展を開催中です。
埼玉県行田市、
産業文化会館アートギャラリーにて。

今回で第3回目です。
この短期間で3回も個展を開くなんて、生前は考えられませんでした。
今回のポスターも私が製作しましたが、
痛恨のミスが一つ。
左下の、蓮の花を描いた作品は今回展示していません…。
この様なミスが私は多い。
いつも父に怒られていました。
仕事の傍らサポート活動をしているのだから、不満があるなら自分でやってくれと父に言い返すこともしばしば。
それこそ父との最後のやり取りはLINEでしたが、改めて見返すと言い争い気味でした。
父の身勝手さ、私の要領の悪さ。
私達は頻繁にぶつかり合っていました。
そして本日は会場に私1人の時間もあり、父の自画像と向き合いながら様々なことを考えました。
私の父は、1人の父親としてどこかの誰かに評価を付けられるとするならば、恐らくかなり低い評価になるでしょう。
絵を描くことしか能が無かったのですから。
幼い私との生活を捨てでも、
手にしたいものがあったのですから。
それでも、父の死を目前にして涙する人の多かったこと。もちろん私もその内の1人。
父は、自身の人生を数多くの作品という形でこの世に残していきました。
心から素晴らしいと思える数多くの作品を残していきました。
私は何を残しているのだろうか。
私の仕事とは何だろうか。
私が死ぬ時、誰が涙してくれるだろうか。
今、私が生きている理由はなんだろうか。
考えても考えても答えが出ません。
今回の回顧展も、父が生前お世話になった先輩・後輩が会場設営を手助けしてくれました。
設営後、我々は父の墓参りに向かいました。
隊長というあだ名で父が慕っていたその先輩は、小さなウイスキーの瓶を父の墓に備えました。
そして父が生前好んでいたタバコのフィルムを剥き、火をつけ、自身で一服した後、そのタバコを線香の代わりに備えました。

その姿を見た時、
父の存在を認めてくれていた人が確かにいたことを感じました。
その様な人がたった1人でもいれば、
良い人生だったと言って良いのかもしれません。
それだけで充分なのかもしれません。
悼む時
昨年10月、
画家である父の吉野光が逝去しました。
私は約10年前から、父の作品を世に広めるために微力ながら活動を続けていました。
沢山のご声援を頂きました。
多くの方にご協力頂きました。
地元である埼玉県行田市を中心に、
様々なご縁に恵まれました。
個展開催を目前に控え、
「順調だね、楽しみだね。」
と話していた矢先に父は病に倒れました。
同時期、私は自身の職において転換期を迎えており、父の死を悼む余裕がありませんでした。
心は痛んでいるのにも関わらず、
父の死を悼めない。
父の死に向き合ってしまったが最後、
心が折れてしまう気がしていました。
多くの方に力を貸して頂き、
4月に第1回目の回顧展を、
5月に第2回目の回顧展を開催しました。
回顧展の前後、私は自身の職においても重要なイベントを抱えていました。
身も心も疲弊するとはこのことか、と自身の置かれた状況を不思議と客観視していました。
もちろん、回顧展・イベントの双方に真摯に向き合いました。
私の人生において、どちらも非常に価値のある、得難い経験であったことは間違いがありません。
回顧展では、生前父がお世話になった恩師、友人、元同僚の方々とお話しさせて頂きました。
彼は最後までやりたいことをやり抜いた。
きっと悔いの無い人生に違いない。
素晴らしいお父様だ。
温かい言葉を沢山沢山頂戴しましたが、
素直に受け止められない自分がいました。
果たして父は幸せだったのか。
父の画家としての人生に、
何か意味はあったのだろうか。
父にとって、私の存在とは。
父にとって、私の母の存在とは。
父にとって、私の息子の存在とは。
そんな想いが頭の中をよぎる度、
必死に考えまいとする自分がいました。
目の前の出来事だけに集中しようとする自分がいました。
最後に父と出かけたのは昨年の夏。
3歳になる私の息子も一緒でした。
3人で食事をしました。
父は息子に、「うまいか?」と幸福そうに尋ねました。
息子は、「うまい!」と嬉しそうに答えました。
それは、いつかの父と私でした。
父の葬儀の日、息子は私に尋ねました。
じーじが死んじゃって悲しいの?
私は答えました。
もうじーじに会えないから、とても悲しいよ。
息子は私に言いました。
でも僕がいるから大丈夫だよ。
私は息子を抱きしめながら、息子に抱きしめられている様に感じていました。
幼少期に父母が離婚し母に育てられた私にとって、父との時間は特別なものでした。
それらの時間の全てが、母の私に対する想いから得られた時間であると理解するまでには時間を要しました。
もっと早く、
私が多くの事に気付けていれば。
もっと多く、
家族の時間を過ごせていれば。
何かが変わっていたのかもしれない。
そんなタラレバに胸が締め付けられそうになる度、日々忙しなく働くことで目を背けている自分がいました。
しかし7月に入り初めて、ふとした瞬間に父の死を悼んでいる自分に気付きました。
ようやく父の死に向き合うことができた。
ようやく父の死を受け入れることができた。
その様に感じています。
ありがとうと言いたい人がいます。
そして7月には、最後の回顧展を開催します。
多くの方にご来場頂ければ幸いです。
改めて告知させて頂きます。
皆さま、きっと人生とは、誰にとっても素晴らしいものに違いないです。
明日も素晴らしい一日をお過ごしください。